『ドジャー・ブルー最初の侍』野茂英雄の活躍|受け継がれるサムライ魂!!

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以下、敬称略

この記事で野茂英雄とドジャースの事を知れば、
大谷翔平や山本由伸その後に続くドジャー・ブルーの侍の活躍がより楽しみに、
より応援に力も入って、より身近に感じられるようになりますよ!!

‘95年、野茂英雄が海を渡ってMLBのロサンゼルス・ドジャースに移籍、
ドジャー・ブルーのユニフォームで活躍した最初の侍の姿がテレビに映し出され、
その活躍は日本でも大きな話題となり憧れの的になりました。

そして、野球を知らない日本人にもロサンゼルス・ドジャースという球団が、
馴染み深いものにもなりました。

野茂英雄から今もドジャースには侍魂は受け継がれています。
‘23年オフ、大谷翔平と山本由伸、2人の日本人選手獲得へと繋がりました!!

‘24年以降ロサンゼルス・ドジャースで彼らが活躍する姿を何倍にも楽しく見れるように
最後までお読み頂けると幸いです。

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ドジャー・ブルー最初の侍 野茂英雄とは

‘68年8月31日生まれ 右投右打 投手 大阪市港区出身

高校野球時代

大阪府立成城高校で2年生からエースとして活躍、
‘85年の高校野球地区大会で完全試合達成。

この頃から代名詞となるトルネード投法の原型になる投球フォームで投げてました。
これは、「身体全体を使って強く速い球を投げる」その為に考えた投球フォームです。

3年生の高校野球地区大会で5回戦敗退(ベスト16)で、
甲子園大会出場の夢は果たせませんでした。

社会人野球時代

‘87年に高校卒業後、プロからのスカウトもありながら新日本製鐵堺へ入社。
トルネード投法と決め球のフォークボールを武器にしてアマチュアNo.1投手
として注目を集めました。

‘88年20歳の時に、ソウルオリンピック日本代表に選ばれる。
チームは決勝戦ではアメリカに3対5で敗れ、銀メダルを獲得。
この時バッテリーを組んだ捕手が、当時トヨタ自動車で活躍していた古田敦也です。

その他、現在のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の前身の大会にあたる
ワールドカップやインターコンチネンタルの日本代表でも活躍した。

日本プロ野球(NPB)時代 

‘89年、NPBドラフト会議では史上最多8球団から1位で指名され、
当時の近鉄バファローズに入団 背番号11
(現在もドラフト1位最多指名は8球団で、野茂英雄・小池秀郎の2名)

トルネード投法・フォークボールを武器にデビュー、ドクターK』と呼ばれる。

入団1年目の‘90年~‘94年まで5年連続NPBオールスターゲームにも出場し、
日本球界を代表する投手として大活躍しました。!!

年度別の主な成績・タイトルなど

  • ‘90年(入団1年目) 29試合に登板 18勝8敗 
    最多勝利(18勝)・最優秀防御率(2.91)・最多奪三振(287)・最高勝率(0.692)
    の投手4冠達成
    新人王・ベストナイン・沢村賞・MVPなど獲得
  • ‘91年 31試合に登板 17勝11敗1セーブ 
    最多勝利(17勝)・最多奪三振(287)
  • ‘92年 30試合に登板 18勝8敗 
    最多勝利(18勝)・最多奪三振(228)
  • ‘93年 32試合に登板 17勝12敗
    最多勝利(17勝)・最多奪三振(276)
  • ‘94年 17試合に登板 8勝7敗

入団以来4年連続(‘90~‘93年)で、最多勝利・最多奪三振のタイトルを獲得

主な通算成績・生涯通算成績

日本プロ野球(NPB)での主な通算成績 

試合数139試合 78勝46敗1セーブ 奪三振数1,204 防御率3.15

メジャーリーグ(MLB)での主な通算成績

試合数323試合 123勝109敗0セーブ 奪三振数1,918 防御率4.24

生涯通算成績

試合数462試合 201勝155敗1セーブ 奪三振数3,122 防御率3.86

メジャーリーグに挑戦

‘94年オフにMLB(メジャーリーグ)挑戦を表明。

当時はメジャーリーグへ移籍する条件も現代のようには恵まれておらず、
ポスティングシステムなども無い時代でしたが、メジャーリーガーと力と力の勝負が
したいという彼の意志は固く球団との交渉の末、任意引退(NPBの他球団に移籍出来ない)という形で近鉄バファローズを退団。

当時、MLB(メジャーリーグ)で日本人選手は通用しないと言う意見が大半で、
マスコミなどから日本球界の裏切り者と後ろ指を刺されながらのMLBへの挑戦でした。

ロサンゼルス・ドジャースでの活躍

NOMO(野茂)旋風

‘95年2月 ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約、背番号16

当時のMLBではアジアや日本人の選手への期待と評価が低く、
各球団も彼に対して一流選手扱いせず興味もさほど示しませんでした。

しかし、ロサンゼルス・ドジャースは球団経営の方針で優秀な選手を獲得する為、
当時から世界中に目を向けていたMLBで1番外国人選手の多い多国籍軍団でした。

その為、野茂がNPBでの功績を捨ててまでMLBに挑戦する勇気を称賛し獲得に積極的で、
そんな球団経営陣の熱意にもうたれ入団を決意。

‘95年5月 先発投手としてサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー!!
村上雅則以来約30年ぶり2人目の日本人投手のメジャーリーガー誕生です。

‘95年 デビュー1年目で日本人初のMLBオールスターゲームに先発投手として出場
同年6月 ニューヨーク・メッツ戦で見事に初勝利を挙げました!!

MLBでもトルネード投法フォークボールを武器にメジャーリーガー達を翻弄し、
ドジャースファンからも『ドクターK』と呼ばれMONO旋風が巻き起こりました。

伝説のノーヒット・ノーラン

野茂英雄がMLBで達成したノーヒットノーランは2試合です。

‘96年9月17日のノーヒットノーラン

野茂(ロサンゼルス・ドジャース)が、コロラド・ロッキーズの
本拠地クアーズ・フィールドで先発。
クアーズ・フィールドは標高1600メートルの高地にあるため空気が薄く、
ボールがよく飛ぶので投手不利の球場として知られています。
野茂はストレートと得意のフォークボールを駆使し、ロッキーズ打線を翻弄しました。

試合は、野茂が9回を投げ、11奪三振、無失点でノーヒットノーランを達成しました。
野茂は、日本選手として史上初のMLBでのノーヒットノーランを達成しました。

‘01年4月4日のノーヒットノーラン

野茂(ボストン・レッドソックス)が、ボルティモア・オリオールズの本拠地オリオール・パーク・アット・キャムデン・ヤーズで先発。
野茂は、オリオールズの打線を10奪三振、無失点で抑え、9回を投げてノーヒットノーランを達成しました。

このノーヒットノーランは、野茂自身にとってMLBでの2度目の達成で、
日本人投手として初めての2度目のノーヒットノーランとなりました。

MLBのアメリカンリーグとナショナルリーグの両リーグで、ノーヒットノーランを達成した投手としては、サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンに次いで史上4人目の快挙となりました。

良き理解者 盟友と監督

野茂がメジャー挑戦して1年目から大きな活躍が出来たのも多国籍の選手が多く、
良いチームメイトや人間関係に恵まれたのも一つの要因です。
当時の監督トミー・ラソーダと捕手のマイク・ピアッツァは、特に大きな存在でした。

トミー・ラソーダ(1927年~2021年)

ロサンゼルス・ドジャースの監督を20年(1976年~1996年)務め、
リーグ優勝8回(‘77・‘78・‘81・‘83・‘85・‘88・‘94・‘95)
赤字は、ワールドシリーズ優勝

彼自身、イタリア移民の家庭に生まれたので日本から来た野茂が、
言葉の壁や習慣の違いに苦労する事を気にかけ我が子のように接しました。
また、伸び伸びとプレー出来る環境作りをしてくれた良き理解者でした。

マイク・ピアッツァ(‘68年生まれ)

ロサンゼルス・ドジャースに7年在籍(‘92~‘98)
イタリア系移民の家系で彼もまた野茂の良き理解者でした。
野茂の野球やバッターに対する考え方を良く理解し、捕手として彼を支えました。
野茂もピアッツァには全幅の信頼を寄せていました。

2023年の第5回WBCでイタリア代表の監督をつとめ、初のベスト8に導いたのも彼です。

野茂がメジャー1年目のオールスターゲーム出場と1回目のノーヒットノーラン達成の時、
捕手をつとめたのもピアッツァでした。
まさに盟友の2人です。

MLB 年度別 主な成績

野茂はMLBで通算14年プレーしました。
主な成績と獲得タイトルをまとめておきます。

所属チーム試合数奪三振数防御率主なタイトル
1995ドジャース281362362.54最多奪三振
新人王
6月月間MVP
1996ドジャース3316112343.199月月間MVP
1997ドジャース3314122334.25
1998ドジャース *11227735.05
1998メッツ1745944.82
1999ブリュワーズ281281614.54
2000タイガース328121814.74
2001レッド・ソックス3313102204.50最多奪三振
2002ドジャース341661933.39
2003ドジャース3316131773.09
2004ドジャース18411548.25
2005レイズ1958597.24
2006ホワイト・ソックス00000.00
2007— *2
2008ロイヤルズ300318.69

*1)1998年はシーズン途中にメッツへ移籍。
*2)2007年は前年の右肘手術の為に、どのチームにも属さずリハビリに専念していた。

受け継がれるサムライ魂

1995年、野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースに移籍しMLBで活躍する姿は、
日本でも連日テレビやニュースで大きな話題となりました。

また、ドジャー・ブルーのユニフォームで活躍する野茂は日本人の憧れの的となり、
MLB挑戦の道を切り開いたパイオニアとなりました。

野茂の活躍は、ドジャースにも大きな影響を与えました。
ドジャースは野茂の活躍をきっかけに、日本人選手獲得により積極的になりました。
その後、黒田博樹、ダルビッシュ有、前田健太など、
多くの日本人選手がドジャースで活躍してきました。

現在MLBで活躍する日本人選手の数は年々増加しています。
2024年には、大谷翔平と山本由伸という2人のサムライ魂を持った選手が、
ドジャースでの活躍を期待されています。

ドジャースが初めて獲得した日本人選手『野茂英雄』が旋風を巻き起こし、
活躍した時代から現在まで脈々とサムライ魂が受け継がれています。

まとめ

野茂英雄がMLBのロサンゼルス・ドジャース初の日本人メジャーリーガーとして
活躍した事で、彼と共に『ドジャース』というチームも日本の野球にさほど興味が
無かった人達の間でも一躍有名になりました。

2024年、そんな日本人に馴染み深いドジャースに大型の長期契約で、
大谷翔平、山本由伸2人が加入。
今後、この2人と新たに加わるであろうサムライ達の活躍で、
ドジャースが何回ワールドシリーズに進出しチャンピオンに輝くか、
楽しみしかないと思います!!

野茂英雄の活躍からドジャースと日本人選手の歴史はこれからも続いてい行きます。
ドジャー・ブルーのサムライ達がこれからも多くの日本人ファンを魅了し、
どんな新しい伝説を作って行くのかも楽しみに応援しましょう!!

この記事が少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです!!
最後までお読みいただきありがとうございました。

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